和歌山 · 紀伊半島
和歌山はどこに、何がある場所か
初めて日本を訪れる人の多くが聞いたことのない県ですが、この半島は千年にわたり日本の信仰の中心地であり続け、かつては将軍まで輩出しました。
地図で見る和歌山
和歌山県は紀伊半島の南部・西部にあたる4,724平方kmを占め、北は大阪府、北東は奈良県・三重県と接しています。県土の約80%が森林という、日本でも有数の山がちな県です。だからこそ人口密集地としてではなく、信仰の場として発展しました。
多くの旅行者は大阪から(和歌山市まで電車で約1時間)、あるいは京都からやや長め(約2時間)に立ち寄ります。東京・京都・大阪を軸にした典型的な初回日本旅行の行程にはほとんど登場しないため、英語圏の旅行者にとって今も比較的知られていない場所であり続けています。
千年の歴史を、要点だけ
実際に訪れたときに目にする歴史——寺院、城、古い参詣道——を、要点だけに絞ってまとめました。
| 時代 | 何が起きたか | 今も見られるもの |
|---|---|---|
| 平安時代(794〜1185) | 907年、宇多法皇による熊野御幸が始まり、平安後期には庶民まで巻き込み「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど賑わいました。816年には空海が真言密教の修行道場として高野山を開創しています。 | 熊野古道の参詣道、高野山の壇上伽藍 |
| 戦国時代(1467〜1615) | 雑賀衆と根来衆という2つの武装僧兵集団が、鉄砲を装備してこの地域を支配していましたが、1585年の豊臣秀吉による紀州征伐で両者とも制圧され、根来寺も焼き討ちに遭いました。 | 焼失を免れた根来寺の大塔(当時の銃弾の跡が今も残る) |
| 江戸時代(1603〜1868) | 1619年、徳川家康の十男・頼宣が55万石の和歌山城を居城とする紀州徳川家(徳川御三家の一つ)の藩主となりました。1716年には紀州藩出身の徳川吉宗が8代将軍に就任し、享保の改革を主導します。 | 戦災焼失後に再建された和歌山城 |
| 明治時代(1868〜1912) | 1871年の廃藩置県により、紀州藩はほぼ現在の県境のまま和歌山県となりました。 | 現在の和歌山県の行政区分 |
知っておくと面白い豆知識
南東部の太地町は、少なくとも1606年に遡る組織的な捕鯨の歴史を持ち、今も「くじらの町」として400年の伝統を掲げています。
白浜のアドベンチャーワールドは1994年から中国・成都のパンダ基地と共同繁殖研究を行い、2018年までに17頭のジャイアントパンダの繁殖に成功。これは中国本土以外の施設として世界最多です。
この歴史を今も見られる場所
816年の開創の物語を最も直接感じられるのは高野山です。空海が開いた宗教共同体は、博物館ではなく今も現役で機能しています。
江戸時代の紀州徳川家の物語が最も分かりやすい形で残っているのは和歌山市で、再建された和歌山城がその中心です。